文月のお稽古

1回目 連獅子(三味線)


どうも最近、三味線に対する気持ちがへんです。
とても飽き性の私ですが、三味線に飽きたことはないのです。
今の気持ちも、飽きたわけではないんです。絶対に違うんです。

私にとって、今がいちばんの頑張り時。
お浚い会まであと2ヶ月。
いちばん練習に燃えていい時期。


・・・なハズ。


今月一回目のお稽古は、最初から通して、楽だけ抜くバージョン。
最初の独り弾きのところ。
「ハオー」を早く切り上げすぎとのこと。
チン チンの、二つ目の「チン」を弾く前に切り上げてしまっていました。
唄が入る合図なので、同時くらい(掛け声の方がやや遅く、かな)まで伸ばすんですって。


最近、糸の道が、真ん中に出来なくなってしまいました。
恐らく、構えの角度が変わってしまったんだと思います。
弾きづらくて。


色々試してみます。


2回目 連獅子(三味線)


注意を受けた点は、二つ。
1.二上りの合方の前で、調子を直すこと(大抵下がっているので)。
2.当てるところをしっかりと当てる(まだ弱い)。


「あとは良くなったよ。」


と言っていただきました。
うちの師匠は、細かく注意する時と、大まかな流れが良ければ細かいところは注意しない時とがあります(あまりにも違う場合は注意しますが)。


そういうのって、長く(まだ三年半ですけど)対面でお稽古してきたから分かる部分がある。
最近よく思うんです。お稽古でも、仕事でも、何でも、続けてきたから分かることってたくさんあるなあ〜って。壁を乗り越えずに、その前で辞めてしまっていたら、絶対に分からない感覚。


ひとつの事を続けることの楽しさを、この年になって、やっと感じる。
だって、私ほんとに挫折ばかりの人生で。
諦めることが得意で。


知らなかったんだもの。


一度しかない人生、色んなことを楽しみたい・経験を積みたいって人もいると思うけど、わたしは、ひとつの事とじっくり向き合うのが合うんじゃないかと思う今日この頃です。



私のはじめてのお浚い会は、「鞍馬山」でした。
あのとき、下浚い直前まで少し弾いては止められて注意を受けていたけれど、何とかなったという経験が、今の私を落ち着かせているのかもしれません。


私自身は、まだまだ直さなきゃいけない細かいところがたくさんあると思っていて、大丈夫かいな?という状態なんですけれど。


焦りが全くないんです。


あはは・・ちょっとは焦った方がいいかも、です。

3回目 連獅子(三味線)


「ただ弾いてるだけじゃ駄目だよ。意識をしないと。」

ずしんとくるお言葉。

してるつもりなのに・・・。
そう、つもり。ぜんぜん表れてない、できてない。


・・・・


あと1ヶ月半弱、この頃になると、また細かく注意をしていただきます。
特に独り弾きのところ。細かく、細かく直していただきます。

もっと出来るはずだよって言葉が、聞こえてくるんです。仰らずとも。
引っ張り上げようとしてくださってるということを感じます。

いちばんきつくて、でも、お浚い会が終わった後になると、一番幸せな時間だったなって思う時期。


・・・・


勘所は、ところどころ厳しく「悪い。」と言われる。まだまだ、たくさんある。
ノリも、ぎこちない。流しが長い。替手の部分になると、力が入ってしまう。撥がひっかかる。


課題はたっくさん・・・あります。

4回目 連獅子(三味線)


まだまだ安定感がなく、毎回違うところを注意されます。
毎回出来ないところもありますがね。

前回は、二上りの替手部分が駄目で、1回通した後にもう1回。
今回は、本調子の替手部分が駄目で、1回通した後にもう1回。

2回目のほうが断然上手く行く。


本調子の替手は、「蹴落とす仔獅子は〜」から始まりますが、ここのスリアガリ(って言うんだっけ?)のスタートは、もっと高い音から始める。先生と一緒に弾くと(本番では一人で弾く)、全然音が合わない!それと、ためること。唄を「たっぷり」聴かせられるように、だろうな。私もここの唄大好きだもの。


毎回毎回言われてますが、とにかく『勘所』。
外した瞬間、「勘所!」という声が飛びます。


とくに本手と替手が上下で弾く部分は、指が回らないのはいいから、勘所をどうにかして・・・と。


「勘所がもっと良くなると、上手く聴こえるんだけどなあ。」と呟かれてしまいました。


耳が痛い。