葉月のお稽古

1回目 連獅子(三味線)


今回から、先生と横に並んでのお稽古です。
隣に座ると、「いよいよ」という気持ちになって、それなりの緊張感がありますが、対面でお稽古するより、私はリラックスできるんです。先生が近くで弾いているということが、心強いのかもしれません。

(まあ、それはお稽古場での話で、本番は、そりゃあ緊張しますよ。)

久しぶりに隣に並ぶ。
本番のとおり、実況してくれます。
「はい、“よろしくお願いします。”って言います・・・他の人はみんな三味線置いてますから・・・はい、幕が開きました。」

ハオー

と、なる。

隣だと、先生がとても唄いづらそうなのがよくわかる。
ときどき隣から「早い!」とか、「音違う」とか声がするけれど、もう、弾いては止められ注意を受ける・・・ということはない。


ただ、ツルツレツレツテツンのところをイチから教わる。
人差し指の爪を立てないで、肉ではじく。ツレツレをきちんとハジクことと、ツルツレツレまではゆっくりめでよくて、ツテツンでまとめればバランスが取れるということ。ツルツレツレとツテツンの間を空けず、繋げること。


ここが綺麗に決まらないからといって、曲としてはたいしたことではないけれど、お客様は、ここが上手いと「あ、この人上手い!」と思うんだそうです・・・。


独り弾きのところで、一箇所、真っ直ぐ弾かずにどんどん速くしていくところを注意され、お手本を弾いていただき、終わり。


褒めていただけたお稽古でしたが、録音を聴いたら、どうにかしなきゃ!というところがいっぱいでした。


ひとつひとつ丁寧に対応していかなきゃ。

2回目 連獅子(三味線)


約2週間ぶりのお稽古です。
今回は、横に並ばずに、対面式のお稽古でした。
対面式の方が緊張する・・・。


私の欠点
音が乾いている、客観性がない、上手く弾きたいという欲が強い


そんなことが目につく今日この頃です。


ほとんど注意はされなくて、「今日は良かったですよ。」と言っていただけたけれど、自分では、何かこう・・・足りない気がしてならない。大事なものが欠けてるような。


お浚い会も近くなってくると、よく言われることがあります。
「本番は結果でしかないから。たとえ本番で出来なくても、やってきたことは無駄にならないからね。ちゃんと実になるから。最後まで諦めないで。」ということ。


お浚い会だから、ですが。


そりゃあ、本番でミスなんてしたくない。
でも、お浚い会は、過程のほうが大事なんだと思う。


なのに。どうしてこう欲が強いんだろうか。

3回目 連獅子(三味線)


独り弾きのところで、見事に記憶喪失になりました。
「あれっ・・・?」
「4!」
「えっ?」
「4・・・」
(三の糸の4を押さえて叩いてみる)
「違う。二の糸の4」
「え?」
「・・・。」

ここのところ、指使いを忘れたり、間違えることは無かったのに、この日は3・4箇所忘れたり間違えたり。


なんじゃこりゃー。


本番にやってしまうことを考えるとぞっとする。
独り弾きのところだけは、絶対に止まらないようにしないと。


替手の部分の勘所と、チンリンチンリン・・・とあしらうところを安定させるよう注意を受けました。

4回目 連獅子(三味線)


舞台用のお三味線をお借りしてのお稽古でした。
象牙の撥は持っていっていなかったので、木撥で。


うーーん。いい音・・・!なはずなのに〜雑音が入りすぎでしょう。


離れて聴けば、少しはいい音に聴こえるのかしら?


「チンリンチンリン・・・のところだけ。あとはいいです。」


って言われました。
せんせ?ちっとも良くないかと思います。


私自身は満足しちゃあいけないし、「これくらい弾ければいっか」って思ったら、それ以上にはゆけないもの。「もっとこうしたい。」って常に思ってたい。