舞台

先日、某演奏会の大合奏にて「越後獅子」を弾いてきました。
某演奏会って、ばればれな気もしますが。

昨年も同じく合奏曲に初めて出していただきました。
昨年は、お浚い会ではない舞台に出していただいた、“初舞台”でした。
でも、先生の誘い方がものすごく軽かったので、“初舞台”だとも思わず、のほほんとしておりました。友人に「出るの〜」と言ったら、「おめでとう。」と返され、「お目出度いことなのか。」と自覚したのでした。

昨年から名取じゃなくても出演できるようになったのですが、蓋を開けてみると、名取以外の人は数名。

・・・だまされたっ!
※いえ、師匠は騙してないし、自分で出るって決めたことです。

一瞬そう思ったのですが、とにかく色々と初めての体験ができ、貴重な経験でした。


そして、今年。
やや渋る私に、「舞台はどんどん経験した方がいいよ。」とのお言葉。
お浚い会ではない舞台の雰囲気って、なかなか味わえるものではありません。
合奏曲以外は、お名前がないと出られませんし。それを味わえる。合奏曲は、普段の演奏とはまた違って・・・それも勉強できる。

「出させていただきます。」と返事をして、でも、「大合奏だし。」という気持ちがないわけではなかった。甘く見てるというか。「どうせ私の音なんて聴こえないし。」っていう気持ちが、正直に言うとあったと思う。

今回出していただいて、そういう気持ちはスコーーンと無くなりました。
自分が、何かを吸収しよう、何かを掴もうと思えば、舞台の大小なんて関係ないし、1/100だろうが関係ない。そういう気持ちがなきゃ、きっと「思い出づくり」で何でも終わっちゃう。


プロとしてまだ活動し始めの方と少しお話する機会があったとき、「歌舞伎座でお姿拝見しました。」と言ったら、「僕がいてもいなくても同じですし・・・」みたいな言葉があって。まあ、謙遜してるだけだと思うのですが、そういう気持ちでいたらもったいないなって思ったの。どの世界でも、新人なんて、まだまだ力になれる存在じゃなくって、自分の経験を積む時期なのに。経験させてもらってるんだから、いっぱい吸収してやるって気持ちが大事だと思うのに。


でも、私も同じこと考えてたかも。
「大勢のうちのひとりだから。」って、知人にも言ってたし。
そう言ってた自分を恥じた二回目の“舞台”でした。



色々と経験できた下浚いと本番の二日間でしたが、お三味線屋さんにいろんなことを教わったことがとても貴重でした。たくさんの方に面倒をみていただきました。師匠が側にいなくても、大丈夫でしたよっ。

ちょっとずつ親離れしなくちゃ。
人に助けられて生きてることを、きちんと自覚できる人間でいたいです。

聴きに来てくれた知人・友人にもありがとう。