弥生のお稽古

1回目 末廣狩(弾き唄い)
上げ浚いでした。

1回目は、先生も一緒にお三味線を弾いてくださり。
2回目は、「僕はなるべく弾かないようにするからね。」と、お三味線を置いてしまわれ、一人で弾き唄い。なんとも怪しいものでしたが、最後の方は先生も時々お三味線を弾いてらっしゃいましたが、とりあえず終了。


「ま、いいです。この曲は、もういいです。」

との事・・・・。あはははは・・・「ま、いいです」かあ。


次回から、越後獅子
三味線の再暗譜しないとな。

2回目 連獅子(お三味線)
今年のお浚い会は、お囃子入りです。
初体験です。

お囃子入りが決定してから、連獅子のCDを聴いていると、お囃子との掛け合いがどうなっているのかが気になる。



前の姉弟子のお稽古が終わり、「じゃあ、やりましょう。」と、先生の前に座ったところ。
「今日は、“かかる険阻”のところからね。」

おお。ずーーっと最初の独り弾きを細かく注意されていましたが、今日はないんだ。
「はい。」と言ったものの、メロディーが浮かんでこない・・・!
先生が弾き始めた音でやっと思い出す。甘いな、自分。

前回までに習った二上りの最後まで来ると、先生が弾くのをやめました。

「お囃子が来序をしている間に、小さく音を出して本調子に戻して。」
来序というのは、獅子が出てくるところ。お芝居では、勝連ではなく正連ですが、前シテから後シテの獅子に衣装替えをして、出てくるところです。大好きな演目なので、イメージだけはばっちり◎


いきなり狂いに飛びました。
狂いは、五段目までありますが、この日は三段目まで。
三段目の、「トチチレ トチチレ トチチリレンテン」の部分の、「トチチリレンテン」が何度やっても出来ぬ私・・・。「トチチリテン」になってしまう。ゆっくりやれば出来るけど、つなげて速く弾くと「レン」が抜けてしまう。師匠も苦笑い。『何でこんな簡単なところで引っかかるかな。』というお顔をなさっている・・・。はまってしまうとなかなか抜け出せない病です。



本手が終わったら替手を習い、時間があったら抜いたところもやるそうです。

「唄も三味線もお囃子も、ウタさん(仮・私のこと)のかけ声で動くんだからね。」

・・・ん?わたしかけ声掛けるんですか?

ああ、また甘い考えをしていました。
全部先生が掛けるんだろうと、当然のように思ってた。

最近、自分に甘いということを痛感することがよくある。

3回目 連獅子(お三味線)
末廣狩が上がったので、連獅子の本手が終わるまではお三味線一本でいくことになりました。


二上りの合方のところ。何度も繰り返し注意される。替手が入ると、休む間を守れなくなってしまいます。自分でかけ声を掛けること。

狂いの最後までしか進まず。
狂いのところで、家元の手というのがあるらしく。
同じ流派でも、やっぱりところどころ手は違ったりします。
「家元がタテの時は、皆この手でやるんだよ。」と、家元の手で教えていただきました。二代目の作曲は、この手だったのかな。

・・・いじわる。

いやいや、しっかりと継承していきたい。
こうやって、続いてきたものなんだから。


三味線が返ってきたら、うんと練習しよう。
次回で、本手を最後のところまで教わりたい。

まあ、あと「獅子団乱旋〜」のところだけですが。
休む間を、ちゃんと自分でかけ声かけられるように。

ヨッ。
フッキョ。
フッヨーイ。

4回目 連獅子(お三味線)
3月で本手を終わらせる
というのが、お浚い会までの自身で考えた予定でした。
ま、いちおう・・・最後までは行ったけれど。


二上りの合方のところで、替手が入るとグダグダに崩れるし、止まってしまう。
先生にかけ声を掛けていただいてる分には、「休む間」というのはあまり考えなくて済む。
今まで、考えずにぬくぬくしてきたから、「さ、自分でね。」と突き放されて、「休む間」の重要性を痛感。


手を覚えるのは最後でもいい。早く曲を作れるようになって。
と、言われました。
ノリを自分で作ること、そればかり考えてましたが、休む間!
しっかり自分で休む間を取れることが、すっごく大事なんですね。

むむ。むずかしい。


あとは、いつもいつもいっつも言われてることですが、勘所・・・です。


「替手が入っても本手をしっかり弾けるようになったら、替手を教えます。」
とのこと。